『女性』の働き方『男性』の働き方?
しかたない。しかたないって分かってる。
でも
『女性の』『男性の』と枕詞付けて表現するのが違和感だな。
と居心地悪さを感じます。
何にこの言葉をつけると嫌な気分になるかな。と考えた時
・働き方
・管理職
・社会進出
だと気が付きました。
女性がこれらを男性より制限されているとしたら
何が理由なのか?
語りつくされて手垢が付きまくっているトピックスなので
わざわざ私が書くこともないと思っていたけれど、
今日『フェムテック』関連のお仕事されている方と話している時に
『女性の、とか女性特有の、とかわざわざカッコつきで分けて考えるのって
女性自ら自分たちを特別視してしまっているように感じてなんか違う!って思うんです。障がいを持つことにラベルを付けてしまうような。』
と口にした自分に
でもそう考えてるってことは制限があるとまだ思ってんだな私。と感じました。
ギャーもういや!!!
働く人達が感じている制限をお互いに理解し合うことで
ハラスメントだったりジェンダー問題が解決していくんだろうな。
だって、制限は自分たちが心と思考の中で作り上げているものだから。
小学生の子を持つ夫婦が、子どもの夏休みにお昼ご飯の心配をするのは
夫か?妻か?
仕事の後に食事に誘われたら、
休日に仕事が入りそうになったら、
残業を余儀なくされたら、
夜の会合や早朝の会合があったら、
出張の予定が入ったら
関係者全員のスケジュールを調整したり意思確認したりするのは
妻か?夫か?
以前子どもを保育園に預けて会社勤めしていたころ
遅くに帰宅した夫がジムに寄ってきた~と言った瞬間に
『あんたはいいよね。好きなだけ残業して好きなだけ飲み歩いて
その隙間にジム行ってさ!
私なんか残業したくてもできないんだけど』
とキレたのを思い出します。
その時私は夫の自由さが妬ましかっただけで、
残業したいわけではなかったと思います。
『お母さん』がするのが当たり前、という前提が
おかしいやろ????と感じていました。
でもその一方で家事や育児に参加しようとする夫の努力の芽を
ことごとく摘んでいたと思います。
家事や育児に自分の居場所を求めていたから、
夫のやり方に文句を付けて、自分のやり方を押し付けていました。
でもそのやり方では対立が生まれたり、夫のやる気をそぐだけで
何の解決にもならなかったわけです。
自分は何を守ろうとしているのか?
このチームはどこに行こうとしているのか?
と考えてみたら
自分のやり方に固執するのは意味がないなと分かってきます。
チームの行く先について一緒に考える時感情にも寄り添っていけば
癒され、争いは減ります。
部長と副部長が仲悪くてさぁ~
お互い自分のやり方を通そうとしてめんどくさいんだよね
と話している男性を見かけましたが、おんなじや~ん。と思いました。
ラベル付けて対立するのではなく
違う人たちが一緒に歩くことを前提として
それぞれの持ち味を活かして行くのが最適なのではないでしょうか?